並木良和さんの「現実はスクリーン」は仏教の奥義だった

並木良和

現実はスクリーンでただの映像にすぎない、と並木良和さんは常に教えています。

だから現実を変えようとするときは、スクリーンの現実をいじるのではなく、心のフィルムを変えるのが効果的だということです。

なぜならフィルムが映像を映し出しているからです。
フィルムとは感情の周波数です。

周波数の高いものは感謝、喜び、愛などです。

低いものは無価値感、罪悪感、恐怖、嫉妬などです。

幸せで、きれいなスクリーンを見たければ、心に感謝、喜び、愛を持てばいいだけです。

不幸せなスクリーンを見たければ、無価値感、罪悪感、恐怖、嫉妬を心に満たせば、いやでも見せてくれます。

我々は日常生活を送っていると、たちまち現実のスクリーンに飲み込まれ、心のフィルムをつい忘れてしまいます。

気が付いたら修正、みたいな心がけで小まめに心のフィルムをチェックするとよいでしょう。

気が付いたら、その都度、低い周波数を手放していけばいいでしょう。

さてここからは仏教的な教えになります。

仏教にも実は現実はスクリーンという教えがあります。

正確には現実はスクリーンと感じる境地です。

この境地は大円鏡智と呼ばれます。

仏教の深い智恵です。

この言葉の意味は、大きな丸い鏡のようにありのままをすべて映し出す、曇りのない智恵です。

ゆがみのないきれいな鏡は映ったものを変えようとはしません。

ただ、あるがままを、映し出すだけ。

我々が現実をスクリーンだと感じているときは、じつはこの智恵を働かせているのです。

高次元の存在は必要な教えをその時代に合わせてアレンジしてチャネラーに伝えています。

仏教用語にすると難しく感じてしまうので、並木さんは大円鏡智を、わかりやすく、現代的に伝えているのでしょう。

油井真砂の歌が大円鏡智をわかりやすく教えてくれます。

明らかにうつせど、影をとどめねば
いよよ光を大円鏡智かな

この歌は、鏡に何が映っても姿を残さないように、何があっても執着もなく現実にとらわれなくなったら、
人は、ますます心に光が差し込んで、大円鏡智が輝いている、といった意味です。

大円鏡智は誰もが本来持っている智恵なので誰でも活用できます。
並木さんは「現実はスクリーン」と周囲の風景に向かって指を差しながらいってみることを勧めています。

胸に手を当て大円鏡智を意識しながら周囲の風景を差して「現実はスクリーン」といってみると良いかもしれません。

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